昭和49年12月28日 朝の御理解
御理 解第17節
「神の綱が切れたというが、神は切らぬ。氏子から切るな。」
どういう時に神の綱が切れたというのか。お願いしておってもお願い通りにならなかったり、又は思いも掛けない不幸にあったり。そういう時にもう神も仏もあるものかと言う様な心を、信心が解ってないと起こすもんです。そしてそのまま、それこそ神の綱、神様から切られんのだけれども、氏子から切ってしもうて、神様との言わば絶縁状態になってしまうのです。神からは切らぬと。氏子からは切るなと。
だからどの様な場合であっても氏子から切る様な事のない、切らんで済むいや益々そこからかの信心を頂いて行って、初めて永遠のおかげというかね、其処からおかげの受けられる道が開けれて来るのです。其処から信心のある者と無い者の、言うなら本当の違いと言う物が頂き又現れて来るのです。昨日はむつやの田代佐恵子さんの五年の式年祭で御座今した。本当にもう後に、若い者ばっかりで御座いましたけれども、全部集まってもう本当に真心を込めて兄弟達、石井、田代というても。
まぁ兄弟同様ですから、そのう本当になんと言うでしょうか、本当に暖かい霊祭でした。それに熊谷の、吉井の熊谷さんが、お年よりが一人まぁ子供を皆連れて着てますから、子守り役の様にして見えておられましたが、お祭りを頂いた後に、皆さんに聞いて頂いた話なんですけれども、とにかくあの皆さんが今日はこうやって、兄弟従弟皆集まって、それに小さい、甥やら姪やらもみんな集まって。
今日のお祭りを奉仕したが、今日ここで拝んで居られる皆さんよりも、誰よりも「佐恵子」さんの御霊がもう生き生きとしておられると言う事だと言う事です。してみるとお国替えと言う事があながち悲しい事、困った事ではない様な気がする。返って残っとる者んの方が、疲れた様な顔してるという感じ。さぁそれは結局私だけの感じであって、皆にそれが解って貰うと言う事は出来ませんけれども、まぁそう言うところから、話の一口聞いて頂いたんです。
昨日一昨日の午後の奉仕の時でした。久富先生の所の奥さんと、望さん達が親子三人で、お礼お届けに参りました。今日下関の方から、お礼の手紙が参りましたから、神様にお礼に行ってくれと言う事でというて、下関に先生の親戚がある。生まれて半年ばかりの、子供さんが、すき焼きをその、所謂頂きよって、そのすき焼きのたぎるよるとが、側に寄せてあったとに引っくり返ってしもうて、もうそれこそもうもう医者は、あのもう一週間は命はもてんと言っておる。
それで直ぐあのそのちょうど十日ばっかり前に、あちらの御物仕事で、久富先生達あちらへ行っておられまして、だからその、合楽示現活動が出来ておった訳ですね。こんなにあの奇跡的な、おかげをいうなら頂いておられると。いう話をしておる、おられたから、あの直ぐあちらへ電話がかかって来た。北野へ。それで直ぐに、ここにお願いに見えましたが、まだどうでしょうか、十四、五日ぐらいでしょうか。
そのお届けがあってから、それにもうとにかく、顔も殆ど傷がない、体の方も、とにかく医者がこんな効く薬まだ、見た事がない。今までは使うた事のあるばってん、こげん効いた事は初めて、て、医者が言われるそうです。まぁ医者はそう言われるけれども、私はお電話でお願いしておった、おかげでこの子が助かったと思うから、神様にお礼を申し上げてくれというて、その、電話が掛かって来た。
同時に望さんがちょうど、昨日一昨日。ちょうど一年前の今日私は失明致しましたち。もうだんだん見えなくなって来て、ちょうど昨日一年ちょうど一年前の今日。失明させて頂いた、私がおかげを頂いて、しかも十年前に、あの無い命を助けて頂いておった事を、おかげとも感じていなかったのが、今度の失明、そして開眼。初めて十年前に命を頂いておった事を、此の度も此の様なおかげを頂いた事を、始めて解らせて頂いたというお礼お届けがありました。
そしてこの二十、来月の二十三日か。があの復職をさせて頂くという、お礼のお届け、またお願いのお届けで御座います。失明そして開眼。もう死ぬるか生きる、いや医者は一週間はもてまいと言われたその、赤ちゃんの焼けどが、ね、死ぬ所かおかげを頂いて、しかもこんな薬効いた、こんなに薬効く薬まだ見た事がない。こげん効くとは思わなかったと、医者をして言わせるくらいに、成程薬も効いただろうけれども、神様のおかげで命が助かったと言う様な奇跡的なおかげを受けた。
そういうおかげの受けられる、道を久富先生達が続けておられる中にも、なら合楽と共に、先生方の信心は続いておりますけれども、その間には様々な難儀な問題も沢山あった。現在の子供達の一人ひとりが勿体無い程しにおかげを頂いておる。又ご自分の家でもおかげを受けておられる。本当にあちらの奥さんが、お参りをして来る度んべんに、もう親先生死んだ方がましです。と言われる様な難儀な事があった。
おかげで生き長らえておったおかげで、まぁ現在のおかげにおうておられる訳ですけれどもです。ね。三番目の息子ですかね、「鶴吉」さん。御神意を頂いて、福岡に勤めさせて頂いておったが、その御神意を頂いて、勤めておって、その勤めの帰りに、あぁいう事故に会われて、亡くなられた。私はそう言う様な時にです、神の綱が切れたと言うのじゃないかと思いますね。お願いまでしておって、しかもお許しを頂いて勤めに出ておる。その勤めの帰りに、ね、あんな事故にあって、もう神も仏もあるものか。
親先生が言っしゃる事が、本当に神の一言と思うて頂いておったばってん、もう親先生の言っしゃる事もあてにはならんぞ。というてです、そういう時に、神の綱が切れるという。ね、だから私は昨日も、そのむつやの方達に話した事ですけれども、あんたの所は誰でも、ならこれげ、若い者ばっかりなってしまうように、ね、お母さん達、所謂当時の店を中心のお母さん達が二人共、言わば亡くなられ。そして、まだ二十歳そこそこの子供が、達が残っただけで、ね、もうそれこそもうむつやは潰れる、ね、
又は、色んな問題があった時なんかは、それこそむつやのお家騒動と言われる様な問題もあった。ね、そういう中をです、私はあの頂いて来て今日のむつやがある。だから、なら「佐恵子」さんの場合でもです、ね、合楽にきよってもう教会を目の前にしてからの事故であった。そしてなくなられたそして五年。どうしてというなら、分からない、これは私共分からない。ね、その御神意、御深慮の深さ、広さということは、私共はとても一生がかりにしても分からないて。
けれども、此処にはっきり、確信を持って言えれる事はです、そういう時に神の綱が切れたというて、こちらから手を離す様な事をなしに、是はまだ私の信心が足りんからだと、其処から一段の信心の進めていけば、このおかげは絶対だ。そんそこで力を受ける事は、徳を受ける事は絶対だという話をさせて頂いた。どうして死んだでしょう。どうしてあげな不幸な事が起こったでしょう。神様のね、例えば心と言う物は、私共がどうしてとて解る様な小さい神様ではないんだと。
それは深くて、広くて、とても計り知る事の出来ない程しのものなんだけれども、信心をさせて頂いておって、神様の言うならば、御働きの間違いなさを、色んな意味合いで分からせて貰って。ね、難儀なこと、又は、こんなおかげを頂いてもよかろうかと言う様なおかげ。又はそういう様々な難儀の中からです、ね、神様を愈々頂いていく。もうそれを一番、なら端的に、一つの手本を示しておるのが大坪一家だ。
私の方だと云う訳なんです。ね、とても椛目の大坪さん、あんあげな信心しよって、どうしてあげん難儀が続くじゃろうかと。半年あまりに兄弟三人の葬式が、しなければならない様な事が起こったり。もうそれこそ、裸いっかんで引き揚げてきて、これ以上の貧乏はなかろうと言う様な貧乏になってしもうたり。ね、言うならいろいろな難儀を、信心しよっても一心一家に集めたかの様な、難儀の中にです、矢張り私共が金光様を、外し切らんところではない。
愈々それによって、言わば信心の熱烈の度と言う物は高められて来たと言う事実なんです。そこになら今日の合楽があると言う事。どうしてと言う意味は分からない。けれども、例えばなら弟の戦死なら戦死に致しましてもです、ね、八月の三十日が終戦、八月の十五日が終戦であるならばです、その七月の三十日に亡くなるのです。戦死しておるのですから。もうもう十五日位神様どうかなりませんでしたか、と言いたい所なんだけれども、さぁそこは神様のお心の内の事であって、解らない。
あん時にはもう一家中の者が目が真っ暗になる様な、ショックを受けたけれども、ね、信心を続けさせて頂いておるおかげで、大坪一家の助かる所ではない。沢山の人が助かって行く様なおかげを頂いたのも、ね、次々と難儀が重なり不幸があった。そこを一心に神様にお縋りし貫かせて頂いて来たおかげであると御霊様の前に、お礼が言えれる時に初めて御霊様が生きて来られる。神様が生き生きとして来られるのだと。ね、
だから問題はです、なら昨日、兄弟従兄弟達皆、集ってましたから、ね、本当に私は信心にならせて頂いてです、そういうおかげを頂かなければ、私は過去の、例えば難儀は、難儀でお終いになるのであり、その難儀がおかげの元になると言う事にならんのだと。是からの信心が、望まれるという意味の事を、話させて頂いてまた次に付け足した事で御座いました。先日から久留米の西原教会のご大祭に若先生がおかげ頂いて、あちらでこう言う御本を頂いて来ておった。
池田先生という、是は大熊教会かな。此の教会の先生がお話に見えておった。そして先日から奥さんを亡くしておられる。此処より永久に、という偲び草に出来た、こんな立派なご本であります。その一年前にお子さんを亡くしておられる。それはもう現代の医学ではどうにも出来ない病気にかかられた。奥さんが。そして医者で言わば見離される様な状態であったから、そんならもう手術もなんもせんで帰るというて、教会に帰って見えて。そしてもう唯一心不乱に神様にもう幾ばくも無いその命を。
いかに生きるかと言う事に一生懸命焦点を置かれて、そしてそのお縋りをなされておられる内に奇跡的に全快された。そしてあの子供さんまで頂かれた。親教会である所のそして甘木の親教会に、お礼参拝の帰りに亡くなられた。それはお子さんが亡くなられた。お子さんがなくなられた丁度八木山峠の頂上のところで、亡くなられたそうです。それから一年後に、今度はご自分も又そう云うおかげを頂きながらです、お子さんが亡くなられた一年後にゃ今度はあのお母さんの方が亡くなっておられる。ね。
家内と子供を一年の間に言わば亡くして、その時の事が色々書いておられるのが此のご本であります。だからそういう中にですね、神も仏もあるものかというのではなくて、愈々信心が熱烈になっておいでられる所から、現在此処の教会に大変な御比礼が輝きだしておると。又この先生のお話を頂いて本当に素晴らしい先生だというて、若先生がこれ頂いて来てからその話を聞かせて貰った話を後でさせて貰ったんです。昨日ねだから普通からいうならばそういうです、おかげを頂きながら頂いたおかげ。
何故かどうしてかて分からんのです。ね、何故か分からんのです。ですからそれを難儀といや、もう一生そういう難儀なのです。けどもその難儀を、ね、あの生かすと言う事に信心がある。其処からのおかげは正しい。絶対なものだと言う事。私共の行く手にもですね、信心させて頂いておっても、何時どの様な事があるやら解らんのです。そう云う時にいわば神の綱が切れたと言った様な悲観的な考えからではなくて、そう云う時にいうならば一段と信心を進め。
そう云う生き方をこの十七、七節には教えておられるのだと云う風に思います。ですからそういう云うならば神の綱が切れたと思う様な時に、自分から手を離しておかげを落として、難儀から難儀に葬られて行くと言う様な人達も沢山ありましょうね、合楽でも随分あります。ありました。けれども其処の所を、愈々頂き抜いて。この頃二、三日前でしたかね、後藤さん所の奉祭式。
それから御霊の開式、合儀祭一緒に合わせてありました。半年前にそれこそ着物一枚出す事の出来ない様な、丸焼けの言わば火事に会われた。おかげで今まで信心がなかった奥さんも熱心になり、それから一生懸命のお参りが出来る様になった。ね、そこから半年後に、とても是が半年前に丸焼けになった人のお家じゃろうかと言う様な、もうそれこそ素晴らしい、素晴らしいお家が出来上がった。
調度品は勿論もう家財道具。あのもう炊事場の方へお手伝いに行かれた方達が、もう皆んなその一杯その器でん茶碗んでん、あの戸棚の中に用意が出来ておる。金が沢山あったから出来たと言った様な事でもない。もう本当になんというですかね、材木関係の仕事をしておられるから、言わばそのお見舞いが材木だった。しかもそれがもう銘木ばかり。とにかくもう節どんがある、柱なんか一本もたっとらん。応接間なんかはもう、このそれこそ檜造りで、タイ檜が全部使ってある。
廊下なんかは全部板張りは桜の木。もう押し入れの裏まで柾の木が使ってある。四国の土佐杉から、屋久杉ばかりで、建具なんかも出来ておる。と言う様なですそして初めて本当改式。金光教の信者としての改式も出来た。言わばあの様にもうそれこそ御神殿なんかも本当の神殿造りに、お神様の神どこが出来た。と言う様なですおかげもとても信心しよって、こげなことになってからと云うとったら、とても出来はしなかったでしょうけれども、ね、その事をいうならばそれこそ丸焼けになったおかげで。
こういう素晴らしい家も出来た。おかげで信心も一段と進ませて頂く事が出来たという生き方なんです。そういう生き方を身に付けよという御理解だと思います。そういう時にです、ね、神の綱が切れたというて神から切るのじゃない。氏子から手を離して行く様な事では、その不幸が難儀が不幸は不幸なり。難儀は難儀である。その不幸難儀を生かして行くと言う所にお道の信心があると言う事をです、此処には教えておられると思います。神の綱が切れたというが神からは切らぬ。氏子から切るなとあります。
どうぞ。